25歳のとき、神奈川県の大学医学部を卒業して医者になりました。
僕の家はサラリーマン家庭で、医者になったのは自分だけです。
経済的な余裕がなかったので国立の大学の医学部しか志望することができず、高校の3年間はずっと受験勉強に明け暮れていました。
なぜ僕が医者になりたかったか、それは兄を小児がんで亡くしていたからです。
生まれてすぐに兄はガンを発症しており、ずっと入院生活を送っていました。
自分は風邪すらも滅多に引かない強い身体を持っており、兄と一緒に遊びたいという願いを持っていたものです。
必ず大人になったら兄を治してあげたいという夢を幼いながらも抱いており、医者を志すようになりました。
しかし、19歳の誕生日を迎える目前で兄はガンが悪化して亡くなったわけです。
この悲しみは自分の身体の一部をうしなったようなもので、それ以来自分がなぜ生きているのかを考える日々となりました。
僕と同じような悲しい気持ちを持っている方は全国にもいるだろうと考え、医師を目指して勉強をつづけました。
難関の国立大学医学部にストレートで合格し、25歳で外科医となったわけです。
夢を抱いて市立病院に就職をしたものの、毎月支払われる月収があまりにも少なくて、生活は困窮を極めていました。
親に仕送りを頼みたいという気持ちもあったものの、実家では母親が祖父の介護をしており、生活を圧迫させることはできませんでした。
少しでもまともな生活に軌道修正をしたいと思い、夜間は夜勤のバイトに勤しんだものです。
しかし、体力の限界に達して、体調を崩してしまいました。
大学の同級生から無茶をするなと助言を受け、ある医師求人を紹介されるに至ります。